「負けてなるものか」という思いが、すでに天に唾しています。天の下で、人間はどうするべきでしょう。
こんなに一生懸命やっているのに、という思いは負けん気になりやすいので、注意が必要です。
病気、困難、困りごとなどには、負けん気で臨むとうまくいきません。闘うこと自体が天に唾することになるのです。この部分はとても大切なところです。
負けず嫌いでない成功者はいません。しかし、真の成功者は天に対してとても謙虚です。
負けたくないという思いに、「なぜならば」という理由がふっと浮かんでくるとき、それは明らかに頭で考えています。アタマで、他人に、病気に、困難に、困りごとに、すなわち天に、負けたくないと考えているのです。
だから、肩の力をふっと抜いて「現実大肯定」しかないのです。
そういう意味では、負けん気は欲の典型とも言えるでしょう。
MAOがなかなか深まらないことのもっとも大きな原因は、欲に執着するMAOになっているということでしょう。つまり負けん気のMAOです。
勝つためにはどうしたら良いかを頭で考えながらMAOしているせいです。欲に執着するMAOから、いかに早くに欲を離れるかのMAOに切り替えることです。
欲を離れるためのMAOの実践がいま一つよく分からない人は、まずは自分がふと不安に思うこと、疑問に思うことを解消するMAOを心がけてみることです。
こうなったらいいな、こうじゃないかなと期待しながらのMAOをとりあえず止めることです。MAOによって自分を励ましているうちに、いつの間にか欲に執着するMAOになっていることがあるからです。
生きていく以上の糧を求めようとするところから、欲に執着するMAOになっていきます。
その人に必要な分だけの糧はその人に回ってくるようになっています。風は充分に吹いているのです。にもかかわらず、どうして生きていくのに必要な糧にも困る人がいるのでしょうか。
もちろん気付かせのために流れを止められている場合もありますが、一方で風は充分に吹いているのに風に乗れない人もいます。
さて、風が吹いているにもかかわらず、生きていくために必要な糧を稼ぐことのできない人は、稼ぐ才能のない人です。
稼ぐ才能のない人は稼ぐ才能のある人に協力することです。稼ぐ才能のある人は稼ぐ才能のない人を雇って、養ってやることです。この関係が正しい雇用関係です。
稼ぐ才能のない人は商売を始めないことです。稼ぐ才能のある人は稼ぐ才能のない人を養ってやることです。ただし、稼ぐ才能のある人、稼ぐ才能のない人ともに、天意に沿っていることが絶対条件です。いずれか一方でも天意に沿っていなければ、この正しい雇用関係は成り立ちません。